katanga2005-10-11

知らない間に長新太がお亡くなりになってイタノヨ。しかも四ヶ月ほど前じゃない。ドーシマショドーシマショ。
長新太と言えば絵本作家だとか漫画家だとか、そういった方ですね。インドでも以前一回書いた事があります*1
えー、アテクシは絵本のほうは余り知らなくて、専ら漫画のほうを楽しんでいたのですが、非常に珍妙な掴み所のない作風で、絵も内容も掴み所のないふんにゃかふんにゃかした不思議ナンセンスの世界の巨匠でありました。
一言で言うと"シュール"*2とでも言いましょうか。まぁこの"シュール"っていう言葉は余り好きじゃないんですが、アレですね、シュールな漫画家と言うと一般に筆頭で思い出されるのが吉田戦車かと思います。でも吉田戦車って"シュール"=シュルレアリスムの意味で捉えると実は別にシュールじゃないんですね。巖谷國士の言に拠ると「シュルレアル=超現実」と現実の間は連続している、または現実が超現実を内包したもので、消して現実と超現実の間に区切りがあるわけではない、即ち我々の存在している「現実空間」があって、どこか離れた別の空間に「超現実」の空間が存在しているのではないと言う事です*3。例えるなら白昼夢みたいなもんでしょうか。
で、なぜ吉田戦車はシュールでないかというと、吉田戦車の場合、漫画の始まりの設定は多少突飛であっても、そこから惹起される事象は概ね自分たちの納得できる範囲に収まる事が多いわけです。例えば『伝染るんです』に出てくるカブトムシの斉藤というキャラが居て、カブトムシなのに浪人したり海賊に就職したり養子を取ったり一見超現実っぽいことをするわけですが、結局は普通の漫画に出てくる、我々一般の常識が通用しない「異邦人=ボケの担い手、ボケキャラ」と同じ存在と言えるのではないでしょうか。まぁ言ってみればニカウさんとかクルーゾー警部とかエディ・マーフィーの『星の王子様ニューヨークへ行く』と同じだと捉えることができます。これはかわうそ君でもミッチーでも『火星田マチ子』でも『ちくちくウニウニ』でも同じ事が言えます。ただ数は少ないですがシュールと言えるものもあります。『伝染るんです』に、[道路のようなところにコンクリのようなものでできた電話ボックス状のものがあってそこから腕が突き出して何か持っている。向こう側から半裸の男が歩いてきて、その何か持っている物を見て「おや、あれはなんだろう」と思う。そしてすれ違いざまにその物体をムシャムシャと食べて「やはり肉か」と思う]という作品がありますが、これなんかは従来のボケキャラの類型に当てはまらないものではないかと思います。しかしまぁこの様な作品は少ないし、正直に言って個人的にそんなに面白いものではないです。
ひょっとすると「カブトムシが浪人したり大家に家賃払ったりしてたら充分シュールじゃねぇか!」とか仰る向きもあるかもしれませんが、それなら『のらくろ二等兵』をシュールだと思ったことがあるでしょうか。『のらくろ二等兵』は犬が立って喋ってサルと戦争して、挙句の果てには大尉にまで昇進したりします。コレに比べたら斉藤は喋らないし飛ぶし樹液はなめるしでなんとカブトムシらしいことでしょう。ただ、犬より感情移入のされにくい(擬人化されにくい)カブトムシが題材になっているというだけの話なんですね。そういうわけで自分にとって吉田戦車は別にシュールな作家というわけじゃないです。ましてやアンガールズなんかどこがシュールなんだ。ただ情けないだけじゃねぇか。なんて日常生活で口にするといちいち細かいうるせーやつだとか思われかねないので言いませんがね。
それに対すると長新太は、湖の真ん中にポツンと居るオッサンが、背景の山が乳になったりケツになったりするのを見て「イーッヒッヒッヒ」って喜ぶだけの漫画なんですね。よくわかんねぇでしょう。でも妙な雰囲気があって面白いんです。
何はともあれ長新太氏のご冥福をお祈りいたします。
 
ちなみに吉田戦車が嫌いなわけじゃないです。むしろ好きです。特に『伝染るんです』のヤクザ描くダムダム人は死ぬほど笑いました。今まで見た四コマの中で一番笑ったんじゃないでしょうか。そんな感じ。

*1:http://d.hatena.ne.jp/katanga/20040327#p1

*2:キーワードでも指摘されているように、今じゃシュールっていう言葉が「少し変な」くらいの意味で使われているってことは重々承知しております。しかしそれだと以下の文が成り立たなくなるので、ここではシュール=シュルレアリスムだと思って読んでください。まぁ「少し変な」程度の意味しか持ち合わせないから"シュール"という言葉が好きじゃないわけではあるのですが

*3:今手元に資料がないからうろ覚えですが概ね合ってるはず