スウィングガールズの事、しばらく間を開けてたら書くことを大概忘れてしまった。ので、映画自体のことではなくて個人的に思いついたことでもでもボチボチ書く。言わばこころにうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ方式。

  • スウィングガールズ』2004日 監督:矢口史靖
    • 正直な話、見た直後の興奮から醒めて振り返ってみると他愛もない娯楽映画である。それがいけないなんて言ってるんじゃなくて、きっちり楽しみまくった挙句、映画館を出る頃にはトロンボーンを買おうかバリサクを買おうか変化球でクラリネットか、と本気で考えてた始末である。映画が余りにも楽しそうなのですっかりその気にさせられてしまった。これは本当に素晴らしい。映画の楽しみは映画館から出る瞬間にある、と語ったのはデリダであったか。今月デリダが亡くなったから追悼、というわけでもないが、やはり映画は映画館で見るべきだとすっかり忘れていたことを思い出させられた。映画館から出るというのは本当に楽しい。
    • 今年に入って映画館で見たのは4本、自分にしては少な目で、だからはっきり覚えている。一発目は『地獄甲子園』、春くらいにアキ・カウリスマキの『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』と市川雷蔵の『花くらべ狸道中』。そして一番最近に見たのが、前にも書いた実家の町にあるローカルミニシアターでプログラム確認せずに見に行った映画。もう題名も覚えてないが、楢山節考のような激重な姥捨てモノで非常にゲッソリしたのは覚えている。挙げてわかるとおり非常に微妙な線を走っているラインナップ。まったくどんな顔をして映画館から出てくればいいのか、どんな顔が相応しいのかさっぱりわからない。だから自分でも映画は映画館で見た方が圧倒的に良い、と言う事をすっかり忘れていたのだ。スクリーンと自分だけの空間。ふと我に返ると他の観客の存在が思い出されるが、それもまたすぐにスクリーンに溶ける。映画に没頭するほど世界と自分の境界が不安定になって関係する場。そして、実は映画を見ながらも結構色々考えているものである。それもまた楽し。
    • 今だから言うが『地獄甲子園』は面白くなかった。漫画の方がキレてて笑えたし、実写でない分破天荒な虚構をダイレクトにこちらに伝えるのは漫画に分がある。ただ漫☆画太郎の絵のようなイイ顔のおっさんオバハンをキャスティングしたことだけでも見に行ってよかったとは思うが。しかもこれは人と映画を見に行ってしまった。映画館は一人で行くものだ、なんてカッコつけてるわけじゃないのだけれど、人と行くと映画の内容よりも連れが映画を楽しんでいるかという事がどうしても気になって映画をそんなに楽しめない。お節介、しかも自分の力ではどうしようもない種類のお節介であるのはわかっているのだが。損な質である。
    • アキ・カウリスマキは結構好きだ。『ラヴィ・ド・ボエーム』なんかはエンディングにやられた。あのエンディングの音楽だけで映画館から出る顔を決められたものだ。『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』も2・3回見たけれど面白い。面白いのだけれど、非常に微妙な映画である、というのは見た人はわかってくれるんじゃないか。あの珍妙な微妙な居心地の悪さを醸しだす空気は、始めて見たのがまだ何もわかっていない中学の時だった、という記憶も含めてとにかく変な気分になる。当事は「共産主義復活!」なんて字幕を見て何もわからないまま興奮していた。共産主義というのが何かすら漠然としかわかってなかった気がするが、当時既に中学生にとっても共産主義というのは何かキッチュで危険な香りがするものだった。何せベルリンの壁やらソ連やらがよくわからないまま崩壊して、何かでかいことが起きてる、というのをリアルタイムに体験し、何かわからないけれどもキョウサンシュギというものはどうにも暗くて哀しいものらしい、なんていう漠然としたイメージがあった。そういう記憶がどうしても鎌首を持ち上げて心を支配するので余計にセンシティブで微妙になってしまう。
    • 市川雷蔵の『花くらべ狸道中』に関しては狸モノでかつ道中モノ。雷蔵勝新のコンビが送る痛快プログラムピクチャーなので単純明快である。何も考えずバカな顔して出てくればいい、とは言うものの今は2004年。多少観客に現代性を持たせるため、勝新ドーラン塗りすぎで気持ち悪ィなぁ、くらいの茶々は入れて良いが。ただ、やはり個人的に「痛快」は肌に合わないのである。が、まぁそれは仕方あるまい。
    • 楢山節考のような映画はひたすら重かった。重い映画というのは覚悟して見ないと非常に堪える。最初の一発で重たいパンチを不意打ちされると体勢を立て直すのは困難だ。というわけで非常に残念な後味に終わったのである。日本の風土で超弩級に貧しい人々の、かの名著、日本常民文化研究所宮本常一編『日本残酷物語』を地で行くようなものを心構え無しで見せられるのはかなりクるのは仕方ないであろう。
    • とまぁ脱線しすぎたが、スウィングガールズは映画館の楽しさを久々に再発見させてくれた。と同時に最近ショボくれていた音楽の楽しさというか、うおお!楽器やりてぇ!という気持ちまで復活させてくれた。元々そう言った方面の影響は受けやすいタチなのだが、非常に影響力が大であった。大学に入って一年くらいやった楽器は後輩に譲った後であったし、どうも一人だと非常に空しい。それでもヤハリ熱が醒めず高校の頃いじっていたカリンバを引っ張り出してピンピンやってみたがどうにも調子っぱずれで苦笑いである。しかもビッグバンドをやりたくなったのに一人だと調子が出ない。
    • とまぁ12:30になったしそろそろ寝るべぇ、と思ったのだけれど、本当にスウィングガールズの事を全然書いていない。ということでまた書くかもしれませんが期待しないように。スウィングガールズの事書くっつってんのに、全然関係ない長文をこんなに書いてもここまで読んでくれてる人なんてほとんど居ないだろうとは思うけど。